関係性はつくるもの

さまざまな関係性についての妄言

フーゴはなぜキレるのか?

今回はフーゴについて。

アニメ解釈では、フーゴの怒りは両親による抑圧により醸成され、大学の教授による悪質なハラスメント…フーゴの尊敬を裏切った暴挙に対して暴発した。以来、フーゴは堕ちに堕ちてしまったが、ブチャラティは「おまえの獰猛さも含めておまえを活かす」と約束してフーゴの信頼を得た。ということになっている。

個人的に、これはあんまりしっくりこない解釈だった。

アニメ解釈では、フーゴの怒りはつまるところ、自分の期待・信頼を裏切った相手に対して爆発するということになる。教えても教えても上手く行かないナランチャに対してキレたのもそのためである。
ナランチャは、全く出来ないなら出来ないで、フーゴだってはなから期待しないのに、中途半端に出来るときがあるせいで、結果的にフーゴの期待を裏切ってしまい、怒りを買う。
また、パープルヘイズのよだれへの嫌悪感は、あの最低最悪教授のよだれから来るもの。

アニメ解釈によって筋が通る描写は、このように確かにあるのだが、フーゴに関しては「筋が通らない」ことこそ大切なんじゃないか?と個人的には思うところがあります。

フーゴの怒りはまさに「獰猛」なのだ。本人すら蝕む理不尽な破壊力の塊であるパープルヘイズの能力が体現するように、フーゴの怒りは元来、彼を抑圧するものすべてを倫理道徳理屈によらずぶち抜くむちゃくちゃなパワーである。
フーゴがキレるタイミングは、フーゴ本人にしか分からないミステリアスなスイッチでなければならない。そうでなければ、フーゴのキャラクターは単なるキレやすい若者になってしまう。

それが、
自分のポジションにかぶってくる生意気な新人がポカをしたのでキレる→わかる
両親による抑圧による過度のストレスでキレる→わかる
少年性愛の教授によるパワハラでキレる→わかる
と、「そりゃキレてもしゃーないわ」なタイミングでしか、アニメ解釈のフーゴはキレないことになってしまっている。
五部はギャングの世界だから、「キレ」てる奴はいくらでも出てくる。そんな中、高い知性を誇る一方で、えっそのタイミングでキレるの!?という二面的な異常性がフーゴの個性だったはずだ。
キレる理由にきれいに筋を通してしまったがゆえに、ただの短気な今時の若者みたいな描かれかたになってないかなあ、と思ったわけです。

特に、運転中にナビを誤ったジョルノに、これから一刻もはやく指令を果たそうというときにキレかけて、アバッキオに宥められたところは、ちょっと首をひねってしまった。
フーゴフーゴにしか分からないタイミングでキレるが、合理的な思考ができ、マンインザミラー戦の最後ではチーム内でほぼ初めて、ジョルノに対する信頼を公言できる素直さと芯の強さもある、有能な男なのだ。
あそこは任務遂行を優先し、内心はどうあれ、冷静にジョルノに一言たしなめるくらいが、フーゴの「任務においては理知的であるが、獰猛なところがある」という個性の描写としては合ってたんじゃないかなあ…知らんけど…

フーゴの怒りの発露に筋が通っているアニメ解釈にのっとると、獰猛さを含めてフーゴを受容し活用すると約束したはずのブチャラティが、ボートに乗る段になってどう考えても合理的でない選択をしようとしたことに対して、フーゴは「自分の期待を裏切る行動に出たから」キレるはずじゃないかな。
なんといっても、アニメのブチャラティフーゴに対しておまえを自分のもとで活かすと約束をしているから、フーゴとしてもその約束を反故にされるわけなので、そりゃ怒る権利はあるよね。
(アニメ解釈のフーゴは、そういう意味ではブチャラティとある種対等な契約を交わしている。ブチャラティフーゴの知性を買い、その対価としてフーゴを獰猛さごと受容すると約束しているので、フーゴブチャラティへの尊敬の念から一方的に彼に奉仕するような、大きな段差のある関係ではないのである。
ブチャラティの選択を受け入れられない場合、フーゴは彼に怒ることができる。ブチャラティを慕っていることには変わりなくとも、ナランチャアバッキオとは心情的にだいぶ異なる。ここのところの根本的な立場の差が、最終的にフーゴがボートのシーンでブチャラティたちを見限るというかたちで発露することになるんだろうか。)
でも、原作だとフーゴは冷や汗をかいてブチャラティを諭すようなことを言い、巨大な敵を前にただ立ちすくんで、彼なりに合理的な選択をする。

とはいえ、あのシーンは当時読んでいた私も「あれ?フーゴここではキレないんだな、やっぱりよく分かんない男だな」と思ったところで、どうにかしてブチャラティたちを心変わりさせたくて言葉を尽くすことを優先したのと、裏切り者としてボスに殺されることへの恐怖が怒りより勝ったためかと考えていた。
ここのところについて、恥パ解釈では「ギャングの世界ではこうするのが当然の常識なのに、みたいなことばかり言って、自分の気持ちはなかった」「そういう常識をふりかざすが、そもそもフーゴは世間の言うこうすべきという常識がだいっきらい(その常識という名目でさんざん抑圧されてきたもんね…)」「フーゴにしかわからない、フーゴの信じているものの道理を他人が信じてくれないことに常に怒っているから、どうでもいいところでいきなりキレる」という解釈がなされている。
そのうえで、「その自分の信じるもの、分かっていると思い上がっているフーゴの中での道理というのは結局浅知恵であり、己を捨てて生きる勇気(ブチャラティの生き方のリフレインだろう)を知らなくちゃだめだよ」という流れになっている。

解釈っていろいろあるね…
やっぱりフーゴの内面の考察は難しい。

なんか気づくと原作だけでなく恥パのことをよく引用してしまってるけど、たぶん五部完結後の供給不足の中では貴重な供給で、あまりにも繰り返し味がなくなるかというくらい噛んでしまっているから癖になっちゃってんだな…
アニメでのブチャラティたちとフーゴとの別れはどうなるだろう?
今後も楽しみです。

ナランチャとジョルノの相似形

炎に照らされたナランチャかっこよかったですね
アニメ、マジでこのクオリティ感謝しかない。

アニメがナランチャ回だったので、今回はナランチャについてちょっとだけ書きます。
ナランチャは、仲間内では口調や態度に幼いところが出るし、メンバーでは一番未熟なようだけれど、とても芯が強い。彼は「ひん曲がらない」のだ。
ナランチャのような経験をしたキャラというのは、安易な描写をされてしまうと、たとえば「金髪」にいい思い出がないからフーゴやジョルノに卑屈に当たるとか、裏切られた過去をいつまでもいじいじ抱えこんで人間不信を強調するとか、逆にブチャラティしか信用できる人間はこの世にはいないんだと思い込んで彼を盲信するとか、そんなキャラにされがちだ。
だが、ナランチャは信じた人に裏切られたのに、ブチャラティの真心にちゃんと気づくし、チームメンバーを信じること(また裏切られる恐怖)に躊躇わないし、トリッシュの心を思いやれるし、重大な岐路にあたってはブチャラティの命令に依存するのではなく、自分の意志で道を決められる。
社会に裏切られたのに、人をひねた目で見ない。被害者づらしない。巨大な組織と上下関係にあっても、誰かを信じるのは自分であり、決断するのは自分だとナランチャは納得できる人なのだ。
ナランチャはその過去に反して心がとても健全で強いのである。
同じく社会に裏切られ、ブチャラティに寄せる信頼はもちろん本物だが、心にずっと澱を抱えて「巨大なものからの命令」を待っているアバッキオと比較すると、それが際だつ。
アバッキオが悪いとか、心が弱いという話は全然していない。アバッキオは生真面目で繊細というだけだ。どっちがいいとかはない)
ナランチャは、「幼いころにひどい虐待を受けた者はひねた心になるしかないのか?」という命題を真っ向から否定してくれるから、小気味よいキャラなのだ。

同じ命題を否定するのは、ジョルノもだ。
ジョルノとナランチャの相似形はよく言われるけれど、ふたりはこういうところもよく似ている。
ジョルノは名もなきギャングに、ナランチャフーゴブチャラティに勇気を与えられ、自分なりに芯のある生き方をしている。
自分を裏切ったモノに対していじけている暇があるなら、その時間を、ジョルノはギャングスターという夢に、ナランチャブチャラティのような上司のために働くことに費やそうときっぱり決めていて、揺らがない。
「幼いころに虐待を受けた者はひねた心のまま?」「ずっと過去にいじけているしかない?」というテーマを、ふたりは「自分で決めた自分の目標に全力投球するのでそんな卑屈なことしてる暇はないですね」と鼻で笑う、そんな被虐待児なのである。
そこが本当にカッコいい。いさぎよい。

ナランチャとジョルノは、自分を虐待した者をカテゴライズして、他人をそこに当てはめることをしない。その個人個人を見て個性を判断できる。

ところで、ナランチャトリッシュを追うさいに自分の過去について言及するが、ジョルノはそういう感傷的なことをいっさい言わない。ちょっと不自然なくらい。自分と似ている境遇のトリッシュにも、別にウェットなコメントはない。仲間として大切に思っていることは疑いないが、自分と同一視することはなかった。
ジョルノはあのギャングと出会い、夢を持った時点で、もうすっぱり過去とは決別してしまっているのかもしれない。
黒髪のハルノの人生と、金髪のジョルノの人生は、ジョルノの中では地続きになっていない…つまり、突然の容姿の変化という「変身」を、ジョルノは精神的な「変身」にも無意識に利用した…とも言えるかもしれない。美容整形によってそれまでの人生と決別しようとする人のように。
だからあんな強烈な母に一言の言及もないのか? あんな過去自体に言及するほどの価値も見いだしていないのか?
忘れようとしてるとかじゃなく、夢のために資するところもないし、そんな意味のないことは無駄だからしないのか?
だとすると、無駄かどうかで感傷をわり切ってしまえるなんて、あまりにも鬼ドリームチェイサーである。

でも、それにしては会ったこともない父親の写真は持ち歩いているし、ジョルノの他人に対する心の距離感は独特なものがある。
ジョルノは他人に夢を見ない(幻想を抱かない、その人の単に本質を見て付き合う)から、浅い本性の分かりきった相手にはもうこれ以上関心自体がわかないのかもしれない。ジョルノ相手に底を知られたら終わり、みたいな、速攻で見切りをつけられちゃうから。
こっちから誰かに見切りをつけるのは、もう彼が誰かの顔色をうかがう子どもからは卒業したことを示す。彼は無駄な付き合いはしない。
だから、会ったことのない、ジョルノから遠い人物であればあるほど、むしろジョルノの興味の対象になる。
実父の写真を持ち歩いているのは、ジョルノが彼についていかに何も知らないのかの裏返しということ? 会ったことのない相手に見切りをつけることはできないから、とりあえず実父だというし、まだ捨てずに持ち歩いているのか?
少なくとも感傷由来の行動ではなさそうだ。
他人の見方が王者のそれなんだよねやっぱり…

けれど、感傷ぶらないジョルノがナランチャにシンパシーを覚えていたと読めるシーンがある。
ナランチャを置いていくとき、これ以上何もナランチャを傷つけることのないよう、ジョルノは遺体を草花で覆う。
ここには、誰かに傷つけられつづけた経験を持つ者どうしとしての共感と思いやりがあるし、身体を植物で囲うやり方が、かつてジョルノがその孤独に共感した名もなきギャングを知らず知らずに守ったやり方に通ずる。
ようはジョルノが誰かの身体を植物で覆うのは、「自分と同じだ」と思った相手を守るときの行動なのだ。

ジョルノはあのとき、ナランチャをあらゆる苦痛から守りたいと心から思っていたのだろうと分かる。
手当てが間に合わなかったと分かって涙を浮かべるときのジョルノの心中を想うとつらい。
密かに自分と似ていると自覚していた仲間…同志が、また理不尽な暴力によって傷つけられてついに命を落としたわけで、自分の尊厳と命を一方的に蹂躙される屈辱をナランチャがふたたび味わわされてしまったことは、ジョルノには追体験じみた共感があっただろう。
そのへんの一般人がつらかったね、悲しかったね、と言うのとは真の迫り方が段違いだったはずだ。

ジョルノは生意気な新入りだが、ナランチャは先輩風をふかせつつ、彼をちゃんと認めてくれていた。
しかたねーから先輩としてジョルノの面倒を見てやるぜ~このオレが!みたいなナランチャの、年相応の歩み寄り方はジョルノからすれば微笑ましかっただろう。
スクティツをふたりで撃退したときは、お互いに信頼関係がなければ成功しなかった。
ジョルノが鉄面皮の裏でナランチャに向けて育てていた共感が、あんなかたちで表出させられてしまったことが悲しくてならない。
彼らの間でだけ共有できた感情や会話がもっといくらでもあったはずなんだと思うとやりきれない。旅はすべてにおいて短すぎたよ。


(余談)
ナランチャに子どもは親のとこに帰るものだと言い、トリッシュにそんなことを心配する親子はいないと言ったり、ブチャラティナランチャ・ジョルノ・トリッシュには、親子観の一点に置いては埋めがたい断崖がある。
信じられる両親を持ったブチャラティは、世の中には悪い親もいると理解してはいるが、まずは親を信じてみようという傾向が働く。
でもこれはブチャラティが虐待や親子の断絶に無理解なわけじゃない。ギャングやってるわけだし。
ブチャラティがまず親を信じてみる方向に梶を切るのは、やはり「それで丸く収まったならそれが本人にとって一番コストが少なくて済む解決法」だからだろう。

ブチャラティだって親の庇護なしに(というかブチャラティが親を守る立場だった)生活する苦労はよくよく分かっているから、いくらつらい目にあったからといっても、安易に親に背を向けてそんな苦労を背負い込もうとする子どもの軽挙をたしなめずにはいられないんだろう。
おまえはこっちに来れば苦痛とはおさらばと思い込んでいるかもだが、楽観的で衝動的な行動で被保護者のおいしい立場をみすみす失うな、もし親が金なり何なり出してくれるならそれを甘んじて受けろと、現実的な視点から叱ってくれる大人が、ブチャラティなんだろう。
甘ったれるな、というセリフはそういう意味なのだ。子どものうちに利用できるものは利用しろ、妥協を覚えろ、頭を使え、みたいな。
まあ家には帰らないと言い張る若者に対する常識的な大人としての対応はああだよね。

ナランチャのときはそういう方向性で叱ったブチャラティだが、トリッシュのときはまた事情が違った。
親に早々に見切りをつけていたナランチャと違い、トリッシュは父親とこれからどうやっていけばいいかを悩んでいた。
トリッシュが親子関係の再構築に多少なり未来をみていたから、ブチャラティトリッシュの想いを尊重し、大丈夫さと背中を押したのだ。
それが、あんなかたちでボスはトリッシュの希望を踏みにじり、トリッシュのために彼を信じたブチャラティの心を裏切った。
そこで激怒するブチャラティ、どこまでも徳が高い。
(ちなみにここ、「その人のことを考えると勇気がわいてくる」ナランチャブチャラティと繋がる、「いつも勇気を与えてくれる」ブチャラティ→ジョルノがエモエモのエモ。チームメンバーにとってのブチャラティが、ブチャラティにとってはジョルノだったんだっていう。)

そんなブチャラティがジョルノの過去に接したときにどう反応するのか見てみたかった。
まさかおまえにそんな過去があったなんて、と驚いたあとは、すでに割り切っているジョルノ本人よりブチブチにブチ切れてくれそう。

あとアニメ、フーゴがジョルノに「参謀気取りか?」と嫌そうにするアニオリがとても良かった。そうだね参謀役はずっとフーゴだったんだろうね…それをぽっと出の新入りにでかい顔されちゃムカつくよね…
ブチャラティチームが自分の唯一の居場所だと思い定めている人々の感情、新入り猫が来たときの先住猫か?
アニオリを全力信頼できるアニメというのは本当に稀有なので、ありがたい限りです。

ジョジョロワの話+α(ブチャジョル軸)

大好きな作品が美しく完結するとうれしい。
が、作品の完結は登場人物成分への飢えを連れてくる。
ブチャラティを……ジョルノを……あの魅力的なキャラたちをもっと摂取したい、そんな飢えに蝕まれたとき、夢中になれる二次創作物の存在は特効薬になりうる。
ジョジョは歴史の長い作品であり、公式非公式を問わず良質な二次創作が蓄積されている。うれしい。ありがたい。

その中でも、私が特に夢中になったのがジョジョロワsecondだ。↓
トップページ - ジョジョの奇妙なバトルロワイヤル2nd@まとめwiki - アットウィキ
https://www.google.com/amp/s/www10.atwiki.jp/jojobr2/index.amp

ジョジョロワとは、いわゆるバトロワパロディのジョジョシリーズ版のこと。複数の筆者によるリレー小説形式で、シリーズをまたいだキャラたちが生存と勝利を目指して闘う。キャラたちは本家設定にならって初期装備を配られ、首には爆弾がつけられているので闘わざるを得ない。もちろん戦闘はスタンド戦闘。
推しカプが推しカプしてるのもいいけど、推しがカッコよく闘うところも摂取したい……!本編完結後のそんなワガママな欲求を、このシリーズは満たしてくれる。

また、ロワでは殺戮に前向きなマーダーとなるか、主催者を打倒する対主催となるか、その勢力の中でどのようなポジションを担うのかといった軸により、キャラのスタンスは分けられる。
それはとりもなおさず、「一般ファンに推しはどういうキャラだと見られているのか」「どういうとき一番輝くキャラだと思われているのか」を知れるということだ。
本編が完結してしまい、自分の中で解釈が煮詰まってくると、だんだん「あれ?もしかして私の推し観、ズレてきてないか?フィルター分厚くなってきてない?」と不安になったりする。ロワを読めば「分かる分かる分かる!!そうだよね!!このキャラはこういう性格でこういうポジションで一番輝くよね!!」と赤べこのように頷くことができる。
自分の好きな作品の新規読者の新鮮な感想を「分かる~!!」と読んでいるときの気持ちに近い楽しさがある。

で、そのジョジョロワの中でも特にsecondを推すのは、やっぱり二次創作ならではの燃える組み合わせや展開があるから。

・リゾット、ブチャラティ、ジョルノの共同戦線が見られる
・ジョージとジョルノの「家族」のふれあい
DIOの息子であるという事実のために信頼を得られないジョルノと、それに怒るブチャラティ(マジでマジでマジでこの「紅が碧に染まる空にカラスみたく飛んでいきたい」回が良さしかない)
・ジョルノが対主催陣営のブレインとして終始八面六臂の大活躍(「プロモーション・キング」回でアカギみたいな知略戦してる15歳)
ブチャラティの覚悟と優しさと自己犠牲が完全に解釈一致
・ジョルノの機転と大胆さと意志の強さが完全に解釈一致
・リゾットが超カッコいい
・ジョセフやポルナレフと絡むボス
・ボスがまさかの大成長、大躍進
・ボスがめちゃくちゃカッコいい
・ボス

などなど、見どころが目白押しである。
ただ、やはりキャラクターが多いため五部の面子でも序盤で死んでしまうキャラももちろんいる。ほかの部まで見渡しても、悲惨な最期を遂げたり、闇落ちしたりするキャラもいる。
また、secondの全体的なカラーとしてかなり陰惨な描写や鬱展開がある。ロワだから仕方ない。それを越える燃えがあり、secondでしか読めないストーリーがあるので大丈夫です。二次創作と割り切って楽しもう。

ちなみに、third(残念ながら未完)では、ウェザー・リポートとジョルノの絡みがある。個人的に推しと推しなのでとてもうれしかった。
ロワはいいぞ。


(余談)
ところでジョジョ二次創作といえば、ニコニコ動画の「うろジョジョ」シリーズ(うろ覚えでうp主さんが語るジョジョのストーリーにあわせ、味のあるイラストがあてられる動画。笑いが止まらなくなる)、「パッショーネ24時」シリーズ(チートバグでめちゃくちゃになった五部ゲーの芸術的な壊れ具合が見られる動画。笑いが止まらなくなる)などが有名どころである。
あと最近、個人的にはまっているのが「無駄親子のまったりテラリア」シリーズ(ゆっくりボイスによるいわゆる偽実況。無駄親子とたまにテレンスが軽妙なやりとりとともにゲームに興じる。無駄親子のテンションが絶妙。癒やしが止まらなくなる)。

MMDも名作ぞろい。
五部のストーリーを追ったものなら↓
MMD】5部でOH MY JULIET! 修正版【ジョジョhttp://nico.ms/sm22214965?cp_webto=share_others_androidapp
ブチャラティとジョルノのふたりが半端なく美しいステージで半端なく美しく踊るところが見られる。
MMD】5部でカーニバル【ジョジョhttp://nico.ms/sm28851629?cp_webto=share_others_androidapp
幻想的。延々見ていられる。

親子と美しいハルノモデルが見られるものは↓
MMD】Scream【ジョジョhttp://nico.ms/sm27168879?cp_webto=share_others_androidapp

いわずとしれたブラクラパロMAD↓
ジョジョ5部でBLACK LAGOONの神MADさん http://nico.ms/sm1711338?cp_webto=share_others_androidapp
マフィアしている五部メンバーが見られる。銃!銃!銃!
一瞬映るバラライカ・ジョルノのボスオーラがすごい。

五部沼はたのしいなあ。

迅の予知と太刀迅の話(~18巻)

vsガロプラで、太刀川は予知に「勝った」のか?

これはだいたいのワートリ読者が一度は首をひねる問題のひとつだと思う。
私もいまだに定期的に考えるテーマである。こんなひとつの問題を定期的に考えさせられてしまうマンガ・ワールドトリガー、めちゃくちゃ面白いね。

この問題の考察を書き留める前に、まず迅さんの予知について前置きしておきたい。

迅のサイドエフェクトである未来予知は、目の前の人間の未来の可能性をいくつも知ることが出来る強力なものだ。
が、知ることができる未来はチューニングできず、読み逃しも起こる。直接目視したことのない相手の未来は見えない。実現可能性の高い未来は先まで見えるが、そうでない無数の可能性は断片的にしか見えないし、「見た」タイミングによっては可能性がまだ発生しておらず、見えない未来もある。
予知といっても万能ではないのだ。
並行する未来を同時に見ているという迅の視界がどういうものなのか、彼の脳内でどう処理されているのかは余人には分からない。
とはいえ、多少の推測はできると思う。

2巻で遊真と迅が初めて会ったとき、迅は「三雲がこの場所で会う誰かにイレギュラー門の原因を教わる映像が見えた」と言った。
そのコマでは手前から地面に伸びる三雲らしき影のイメージが描かれている。手前に立つ三雲が自分の影を見ているようなコマである。
遊真との対面時、迅は「その誰かは“たぶん”こいつのことだ」と彼の頭を撫でた。
ここから推測できることはみっつ。

1、迅が会ったことのない相手は、すでに知っている相手の未来のビジョンの中に登場しても姿が見えない。そのため、会ったことのない相手の容姿を知ることはできない。
物語の各所でどんな被害が出るかは分かっても、どんな敵が来るかは分からないのはこのため。


また、あとあとの描写から推測するに、目視したことのない相手のトリガーや、目視したことのない新型トリオン兵も基本的に未来視には映らないと考えていいと思う。
だから敵の攻撃方法は未来視では分からず、分かるのはその被害に遭った知り合いの「死因」だけ。
よって、迅は未来視で見た街の壊れ方や人々の負傷の仕方、死因、ボーダー隊員のベイルアウト原因から敵の能力を推理しているのだろう。
だから大規模侵攻編で、敵の人型ネイバーにそれぞれ相性の良い隊員をあてがうように配置することができた。しれっとした顔ですることではないんですけお…

2、少なくとも三雲の未来を見た時点では、未来視時の迅の視点は俯瞰ではなく、未来の三雲視点だったと思われる。(百鬼夜行シリーズの榎木津礼二郎大明神は過去視もちだが、その未来視版みたいな感じか。)

3、迅は未来を見ると表現するが、どうも視覚情報以外の情報(音、日時、位置座標など)も漠然とではあるが得ているようだ。
視覚情報のみを得ているのであれば、三雲と遊真の会話の内容は三雲と相対する遊真の唇の動きを読んで当たりをつけるしかないが、1、で書いたとおり、迅は会ったことのない相手が未来視中に登場しても姿を視認できない。読唇術は使えないはずだ。
とすれば、三雲と遊真の会話の内容について迅は、視覚情報以外から多少のイメージを仕入れていると見てよいだろう。

つまり、迅は未来視によって、未来の目の前の人間が見たビジョンや情報の一部を受信している、ような状態ということだろうか。

また、大規模侵攻編での暗躍ムーヴや、vsガロプラで陽太郎が飛びだしていったのを察知したことから、誰かが未来の分岐をあるルートに確定した場合、離れた場所にいてもそれを察知できることも分かる。

これらを踏まえて、太刀川がまっぷたつにされる予知をしたときのことを考えてみる。
その予知を小南に伝えた時点では、まだ迅はガロプラの侵入者たちを目視していなかった。
迅は小南に「太刀川さんがまっぷたつにされる未来が見えたからついていけ」と言った。
迅は太刀川が「誰に」まっぷたつにされるかには触れていない。

このときの迅のビジョンでは、太刀川がまっぷたつにされる未来だけが見えていて、それをしてきた相手の姿は映らなかった、とも取れる。
だとすると、太刀川をまっぷたつにしてくる相手は迅が目視したことのない人物。
要は斬撃能力のあるトリガーを持つ新しい敵、ということになる。
なので、敵にまっぷたつにされるわけだから、この時点では、太刀川がまっぷたつにされることは敗北以外の意味を持たなかったと思われる。

では、この「強力な駒である太刀川が敵に斬撃トリガーでぶったぎられるという不利な未来」に辿り着かないようにするにはどうしたらいいか?
私は当時それを必死でうんうん考えながら本編を読んでいたのだけれど、やはりナンバーワンアタッカーの発想はレベルが違った。

太刀川は戦闘中、何度も「こっちには予知がついてる」と言っていた。

・どうも自分はぶったぎられるらしいので、ぶったぎられる以外の死因はない
→大砲に組み付くことで「大砲が不発に終わる」未来を確定させる
・敵にぶったぎられる前に味方の小南に自分をぶったぎらせる
→「斬られて敗北」を「斬られて勝利」にルートを変える

迅の予知を信用した上で、それを逆手に取った立ち回りをしてみせたわけだ。死神の精度みたいな理屈こねてんなこのナンバーワン

ただ、だからといって太刀川が迅の予知を覆したといえるかはまた微妙なところで、迅は太刀川が敵にではなく、戦法として小南にぶったぎられる並行未来も見ており、だからこそ小南を同行させた、とも考えられる。
太刀川本人も予知を覆した、ではなく、利用して勝った、と言っているし。
結局なにが正解なのかは分からんね…

何にせよ、迅の予知は一般的な未来視のイメージよりけっこう不便だし、迅の推理能力があって初めてフルに活かせる能力だ。
ワートリは登場人物が多く、彼らひとりひとりに彼らなりの選択がある作品だから、無数にある分岐未来を最善に近づけることの苦労はいかばかりか。
唐沢さんに励まされるシーンとか、三雲に謝るシーンでいつも基本笑顔の迅の表情がとたんに薄くなるところが…おお、もう…。

サイドエフェクトの神の過ちは、アカン能力をアカン奴に握らせた点にある。未来視なんてチート能力はアホに握らせてバランスを取ろうとか考えないサイドエフェクトの神、信頼します。
太刀川も太刀川でメンタルがなんか斜め上をぶっ飛んでいるので、この二人がライバル関係にあるのは納得しかない。

(補足)
vsガロプラで太刀川が人数を偽って奇襲を仕掛けるやり口を用いていたけれど、大規模侵攻編で迅が遊真と仕掛けた奇襲と同じでウワ…となった。
やり口が似ている…

他方、ふたりの性格はあまり似ていないと思う。
太刀川と迅が解説を務めた玉狛vs那須隊、来馬隊戦では、太刀川がズバズバと直截な指摘をした一方、迅は落ちたメンバーの努力をほめたり、三上ちゃんにフォローを入れたり、情を汲むような解説が多かった。
陽太郎にヒュースを帰してやりたいか訊ね、彼に蝶の盾を預けた点にしても、迅は外面は飄々としているけれど、内面は意外と気配り屋でウェットなタイプなのかもしれない。
自分が未来を選択したために生じた犠牲についても、たぶんこっちが想像するよりずっと気に病んでいるのだろう。

13巻の緊急防衛会議終了後、三輪との会話を見ていた嵐山に「前より少し打ち解けたんじゃないか」と言われ、「前向きだねー」とだけ返した迅にはそこはかとない後ろ向きさがある気がする。
迅は三輪との関係改善は難しいし、苦手にされている現状のままでいいと考えているということだ。
このシーンを読んだとき、てっきり私は迅ならいつものうさんくさい笑顔で「マジで?そう?」などとキラリ✴マークを飛ばすのではと思っていたので、この会話は珍しく彼の素の、陰の部分がこぼれ出たシーンとして印象深い。

この先、成長著しい三輪がもう少し歩み寄ったとしても、一見人当たりのよい迅の側が彼に罪悪感を抱えているので、密やかな断絶は消えることはないのかもしれない。
続けて「あまり気負うな、おまえひとりの責任じゃない」と言ってくれる嵐山のストレートさがありがたい。
まあそれに対しても迅は「わかってるって」と落ち着いた様子で返してしまうので、頭を抱えるんですけど…わかってるけど気に病んじゃうタイプじゃん絶対さ…

嵐山がストレートに熱い男なので、それに重ねて何か言うことはしない太刀川の情緒のシンプルさ、ドライさもそれはそれでありがたい対応だ。
迅、嵐山、風間さん、太刀川あたりの中心メンバーは性格面でも本当にバランスがいい。

いつか太刀川vs迅のソロランク戦が描かれ、作り上げられた強固な外面を捨てて勝ちにいくバチバチモード迅が見たいものだ。


いつものことながら太刀迅の話になってないけどしゃーない。
ところで、予知能力のせいで内部分裂フラグの立ってるガロプラが心配です。
普通敵が未来視もちだからなんて考えないもんね…内通者を疑うよね…
未来視やっぱりえげつないよこれ。

アバッキオとムーディブルースの話

アニメ6話、アバッキオの掘り下げ回としてこれ以上のものはなくない?

今回はアニメ6話の描写をふまえた、ムーディ・ブルースの悲哀について書きます。

アバッキオはもともと勤勉な警官だったが、守るべき市民に努力を裏切られ続けた結果、無力感につけ込まれて汚職に手を染めてしまう。
それが元で相棒を殺され、荒んでいたところをブチャラティに救われてギャングとなったキャラクターだ。
アニメでは相棒を失った現場に通い続けていたことが補完された。

このアニオリがアバッキオの掘り下げとしてすごく嬉しかった。
アバッキオは酒を煽りながら現場にうずくまっていたが、なんかこう、荒みかたに品があったというか。
ブチャラティに「大切なのは結果でなく過程だ、過去に縛られたまま死ぬな」と言葉をかけられ、自分の身がどうなろうが、誰が死のうが知ったことじゃないと思っていた彼の心が動かされたことを示すように、酒瓶を地面に丁寧にコトリと置くシーン。
あそこがとても好きだ。
アバッキオはあの商店でチンピラよろしく唾のひとつも吐かないのだ。
自分の未来がたたれた最悪の場所、忌むべき場所と唾棄せずに、相棒が命を失った場所として壊れ物を扱っているかのように振る舞う…
苛立ちまぎれに酒瓶を叩き割るとか、そうでなくても飲みきったら乱雑に落として割ってしまうとか、そういうことは絶対にしない。
アバッキオはそういう、根は真面目で繊細な人物だ。

アバッキオは荒みきってしまったけれど、それでも相棒への懺悔と哀悼の思いが彼の根底にあり、彼を陥れたあのチンピラのような真正のゲスに堕ちることはなかったと、あの補完で伝わってくる。
そして、あのシーンだけでブチャラティの誘いに即答しなかった、アバッキオの答えを暗示するだけで留めたところもすばらしい。
アバッキオが黙りこみ、ただ誘いをかけてくれたブチャラティにせめての礼を尽くすように酒瓶を地面に置いて、彼に一歩踏み出すこともなく、硬直したまま回想は終わる。
アバッキオのそれまでの絶望を軽く扱わず、それでいて彼の人生の転機は確かにこのときあったのだと伝わるアニオリだ。
感謝しかない…

アバッキオはギャングとしての道を歩み始めた。
しかしその後アバッキオが目覚める能力がムーディブルースなもんだから、またしんどいのだ。

ムーディブルースは誰かの過去の言動をそのままリプレイする能力だ。
相棒の死を後悔し続け、心の中でリプレイし続けた、過去にとらわれているアバッキオの内面を表した能力となっている。
これだけでももうしんどいが、

1、誰かが攻撃された後でなければ使っても意味がない
2、能力行使中は無防備で攻撃も防御も不可
3、攻撃性能自体は低い

の三拍子が揃っているのが地獄すぎる。
ムーディブルースは、「被害者ありきのスタンド」であり(警官は被害が出てから事件捜査をする)、「仲間がいなければ自分を危険に晒すだけのスタンド」なのだ。
犠牲者が出なければ使っても意味がない。
基本的に先手必勝で、敵の攻撃手段や攻撃のトリガーを解明できなくては全滅もありうるスタンド戦でこれは痛い特性だ。
リプレイさえすれば敵の情報を得られる点は大きなメリットだが、その間は無防備で、自分の攻撃性能も低く、せっかく情報戦でアドバンテージを取っても強い仲間がいなければ負けて死ぬ。
つまり、「誰かと組まなければ勝てないのに、誰かが攻撃された後でなければ力を発揮できない」という、猛烈な逆風がムーディブルースを取り巻いている。
兵隊は何も考えない、と原作にあったけれど、何も考えず…自分の身の安全すら軽視して、大きなものの命令にただ従ってでもいなければ、怖くてとても使えたものではない。

アニオリの補完でより強調されたが、アバッキオの警官時代は、どんなに事件事故を未然に防いでも市民は感謝せずののしりたてるばかりで、すでに起こった事件も、犯人を逮捕したところですぐに保釈されて徒労に終わった。
組んだ仲間は自分のために死んだ。
ムーディブルースのこうした欠点は、アバッキオの過去を思うととても悲しいものがある。

こう考えると、そもそも能力の運用上、アバッキオのことを独りにしてはいけなかったのだ。
あの浜辺でもそうだったのだ…

(蛇足)
ミスタを救い出したときの回想で分かるように、ブチャラティは街のこういう事件に目を光らせていた。アバッキオのこともニュースになっていて、だから彼を気にかけていたのだろうか。

恥パでのフーゴの回想を読むに、ブチャラティチーム結成後にブチャラティパッショーネの麻薬売買を知った、という時系列のようだから、アバッキオたち仲間を救い出したときはまだ、自分の組織が憎き麻薬に関わっているとは知らなかった、とも考えられる。

それまでのブチャラティにとってのギャングという身分は、頼りにならない公権力によらず父を守るための合理的な選択であり、世間常識がどうだろうと(自分が日陰者だとは重々理解した上で)、彼自身の心に照らして恥ずべきものではなかったはずだ。
だから、道を外れそうな者たちに目を光らせて、彼らに救いの手としてギャングへの道を示した。
ブチャラティの徳が無限に高い。

だからこそ、恥パで描かれたような、パッショーネが麻薬を売りさばいていると知り、彼の中でのギャングというものの価値が塗り替えられてしまったときのブチャラティの心境を思うと…。

(なお、恥パはアバッキオ加入でのフーゴとのエピソード等、各種メディアミックスで矛盾はどうしたって生じるので、恥パ時空・アニメ時空・原作時空は切り分けて楽しめばよいと個人的には思います。好きなエピソードを選ぼう。)

アバ茶回と恥パとブチャジョルの話

アバ茶に色がつくとあんなことになるんだね…

とうとう放映されたアバ茶回。
すごかった。アバッキオ、一緒に人間ドックいこうね

アバ茶回…原作のタイトルは「5プラス1」だが、その面白さはちょっと独特だ。ほかの漫画では味わえない面白さがある。
直前の話で躊躇なくポルポを暗殺する主人公、というインパクト抜群なシリアスをやっておいて、次の話になったとたん、「奇人変人集団によるボケの大渋滞」みたいな話を投げ込んでくる。

「4という数に切れ散らかす異常者」
「突然他人の頬にフォークを突き刺す異常者」
「それにナイフで応戦する気合いの入った異常者」
これらを連続して読者の脳に叩き込んだところで、極め付きに
「気に入らない後輩に尿を飲ませようとする異常な先輩」
までもが読者の心を揺さぶる。
この先仲間となる人物をあえて初登場時には悪く(異常に)描いて、その後の読者の心証をコントロールするのはあらき先生の得意技だが、ここまでヤバさに振り切った作劇胆力はすごい。
「これだけキャラの印象を落としておいても、あとの掘り下げや活躍で挽回できるだろう」という確固たる自信があるわけだ。それでその通りになるんだから、先生はやはりすごい。

しかも、その嫌がらせを受けて立ったジョルノがどう見てもセーフではないのでは…?という手口で場を切り抜けてドヤ顔するので、さらに異常者人口はプラス1されることとなる。
唯一頼れるチームリーダーも、ほんの数話前にジョルノの頬を舐めたり、口の中に他人の切断された指を放り込んだりした実績がある。
もう全員異常者である。

その異常者たちの異常ぶりをこれでもかと描きつつ、この回には強烈なシリアスギャグの要素も渦巻いている。
アバッキオの蛮行に一瞬「えっ…なにしてんの…?」となっているミスタたちの表情は、読んでいるこちらと完全にシンクロする。
躊躇うジョルノにここぞとばかりに嫌みを言うチームメンバーたちに対しては、
「人間ってこんなに意地悪な顔できるもんなの?」
「てか普通に考えて目の前で他人が自分の知人の尿を飲むとかメチャクチャ嫌じゃない?」
「ていうかまず知人の尿が目の前にあるのがメチャクチャ嫌じゃない? 嫌み言ってる場合か?」
と無数の疑問が湧き上がる。
頭の切れる常識人のはずのブチャラティも終始クエスチョンマークを浮かべていて、ジョルノが見舞われている災難には気づかない。なんか最終的には「ジョルノはやっぱりすごいやつだ…なんかよく分からんが…」と納得するボケ倒しぶり。

それに、いざ飲まれたら飲まれたで「ウワッ…(引)」みたいな顔するアバッキオも何なんだろう。
自分の体液を他人に飲まれることに悪寒を覚えるような繊細さが彼にあったのだとすれば、どうしてアバ茶など淹れてしまったのだろう。

アバッキオは、この話以降の掘り下げからいって、内面は結構繊細なイメージがある。(細かいところでいえば、ブチャラティトリッシュが一時険悪になったとき、雑誌を盾にして遠巻きに様子を見てるシーンとか。)
自分だったら絶対飲まないし、こいつが飲むはずがない、「な、何ですかこれはー!」などと真っ赤になって逆上してきたところを笑い物にしてやろう…それくらいに考えていたのかもしれない。
ところが現実はそうはならなかった。
意地を張ってらしくない嫌がらせをすると自分も嫌な思いをすることになるよ、ということか。
結局アバ茶回でもっとも精神的ダメージを負ったのはアバッキオ本人だったのかもと考えると、アバ茶とは悲しい存在だ。

さらにアバ茶回が面白いのは、これらの異常者描写・シリアスギャグ描写と並行して、ブチャラティチームの人間関係を透かし見られるようになっている点だ。
ジョルノを無視しようとするチームメンバーたちに、ブチャラティが「このオレが連れてきたんだぞ!愛想良くしろ!」と叱りつけるさまは、さながら父が再婚相手を家に連れてきたときの子どもたちのようである。(曇りない眼)

五部初見の方の感想で、「リーダーに叱りつけられても彼らの態度が軟化しないのは、ブチャラティがチームに舐められているからでは?」というのをチラッと見かけたが、それは全く逆なのだ。
ブチャラティは彼らにとても慕われている。
彼らのわだかまりの理由が他ならぬブチャラティの態度にあるから、ブチャラティがジョルノを庇えば庇うほど、彼らは面白くないわけだ。

なぜ、このギャングたちはこうもジョルノを敵視するのか?
彼らがもともと排他的な性格というわけではなく、答えは簡単で、「ジョルノがブチャラティが初めて自分からチームに引き入れた人物だったから」である。
他のメンバーはやむを得ない事情でギャングに身を落とし、そこをブチャラティに救われてチームに入った者ばかりだが、ジョルノはそうではないと、彼らはちゃんと感づいていた。

このあたりは、小説・恥知らずのパープルヘイズで描かれたフーゴ視点の回想が印象的だった。
小説では、ブチャラティがジョルノのことをチームメンバーに初めて話すシーンが描写されている。
戸惑い、怪しみ、自分たちでジョルノの身元調査をしようとまで言い出した仲間たちに、ブチャラティは「オレを信じるなら彼も信じられるはず」「文句があるなら別のチームへ行け」と強引に話を切り上げる。
前者はまだしも後者の言い方はすさまじく苛烈だ。
このブチャラティの思いがけない頑なさを、作中のフーゴは「実はブチャラティこそがチームで一番その経験が遅れていた」「誰かと出会うことで人生が変わるということをブチャラティだけがそれまで知らなかった」と考察しており、よって、ボートに乗るときも、「自分が説得すべきはブチャラティではなくジョルノだった」と結論づけている。

恥パは公式から出版されている小説ではあるが、あくまで作者さんのいち解釈に過ぎない。
が、もしブチャラティに前もってこんなことを言われていたのだとしたら、チームメンバーたちのジョルノへの当たりの強さは無理からぬことだろう。
(以前このシーンを、ブチャラティ=鈍感主人公がハーレム外に本命を見つけたときの周囲の反応として見る感想を見かけたことがあるのだけれど、ボーイミーツガールで敗北する幼なじみヒロインを見るときのような辛さが突き刺さってくるので、あんまり考えないようにしておきたい。)

今後、この異常者たちがどう株を上げていくのか、ジョルノがどう彼らの信頼を得ていくのか、原作既読者であっても、アニメで観られるのが嬉しくてたまらない。

というかアニメ、アバッキオとジョルノの(ほぼ一方的な)バチバチが強調されてたり、チーム入って一日目でだいたいブチャラティの隣にいるジョルノだったり、ジョルノに目線を合わせるようにしゃがむブチャラティ→その横にしゃがむアバッキオの流れだったり、細かいところまで最高でしたね。

ワールドトリガー28話の迅さんと風刃

ワールドトリガーが連載再開だ。とてもうれしい。
私は黒トリガー争奪戦が大好きだ。
具体的には、28話で描写される風刃の厄介さが好きだ。
もうひとつの注目点である(曇りない眼)嵐山と迅の関係性はちょっと置いといて、28話の風刃について書きたい。

強力な風刃だが、弾数には限りがあり、その後はリロードの隙ができる。
菊地原の首を飛ばし、歌川に手傷を負わせ、残りメンバーを牽制して残り8本。
追い詰められたガレージ内で太刀川に1+5本。
この時点で風間たちがガレージ内に突入してくるが、風刃本体の状態を見て瞬間的に歌川が残弾数0だと叫ぶ。
迅を倒すにはリロードの隙を突くことが重要なため、この僅かな時間で次の行動を決断した風間は、迅を拘束することには成功するも、フィニッシュを任せようとした太刀川もろともにあらかじめ仕込まれていた1本で斬られる。

この流れを初めて読んだとき、マ~~ジで迅さんと風刃の組み合わせ、最悪で最高じゃん…となった。今もなってる

風刃の嫌なところはまず、弾数が光の束として視認可能な状態にあるということだ。
なので、リロードの隙を狙いたい敵側としては、「光の束がない状態」を攻撃に転じるチャンスと見たい。そのチャンスが視認できるようになっているため、一見、風刃の残弾数可視はデメリットのようにも思えるわけだ。
ところが、風刃はブレードなのに遠隔狙撃めいた挙動を持つのみならず、攻撃を仕込んでくる。
任意のタイミングで起動できるトラップ・地雷としての能力も持つ。当然だが、この仕込まれた状態での刃は光の束として視認できない。
そのせいで、せっかく「光の束がない状態」の迅と対峙できても、全然安心できない。地雷原でうかつに攻撃できるわけないから。

でもそこで仕込みを恐れて手をこまねいていては、その間にリロードが終わってしまう。
よって、敵側は時間制限の焦りから判断ミスを誘発されることになる。地雷があるかもなのに。
実際、風間さんはリロードの隙を逃すまいとしたとっさの判断で弾数を誤認するミスをした。

その厄介な遠距離攻撃性能と仕込みを看破し、確実に迅の撃破を狙うなら、「迅の行動の一切を見逃すことなく残弾数を計算し」接近戦を挑まなければいけない。
だから迅さんから目を離すわけにはいかないのだが、黒トリガー争奪戦のように遮蔽物の多いフィールドに入られてしまうと、それも難しい。
菊地原のサイドエフェクトによりチーム内での情報共有に秀でる風間隊や、スナイパー部隊などが総力を注いで迅を追跡するなら可能かもしれないが、チーム全員がひとりに釘付けにされるデメリットは大きい。

しかも、迅が仕込みをしたと考えられるような所作を目視できたとしても、風刃の刃は物体を伝播して、動くのだ。刃を突き立てたところとは全然違う場所に仕込みがあったりする。
どこに仕込みがあるのか分からない遮蔽物だらけのフィールドで接近戦を強いてくるのだ。
なにこの武器?

極めつけが迅さん本人のサイドエフェクトだ。敵側の行動を(全てではないとはいえ)予知してくる。
もうこれ迅さんの視認可能範囲外からの狙撃しかなくない…?
→遮蔽物を利用してくるため射線が通らない+予知で避けられる。
いい加減にしてほしい(しなくていい)

これだけ無法な迅さんと風刃にあれだけの立ち回りを見せる太刀川さんたちの格も下がらないし、28話は一話で満足感がすごい。
風刃はいいぞ。