関係性はつくるもの

さまざまな関係性についての妄言

アバッキオとムーディブルースの話

アニメ6話、アバッキオの掘り下げ回としてこれ以上のものはなくない?

今回はアニメ6話の描写をふまえた、ムーディ・ブルースの悲哀について書きます。

アバッキオはもともと勤勉な警官だったが、守るべき市民に努力を裏切られ続けた結果、無力感につけ込まれて汚職に手を染めてしまう。
それが元で相棒を殺され、荒んでいたところをブチャラティに救われてギャングとなったキャラクターだ。
アニメでは相棒を失った現場に通い続けていたことが補完された。

このアニオリがアバッキオの掘り下げとしてすごく嬉しかった。
アバッキオは酒を煽りながら現場にうずくまっていたが、なんかこう、荒みかたに品があったというか。
ブチャラティに「大切なのは結果でなく過程だ、過去に縛られたまま死ぬな」と言葉をかけられ、自分の身がどうなろうが、誰が死のうが知ったことじゃないと思っていた彼の心が動かされたことを示すように、酒瓶を地面に丁寧にコトリと置くシーン。
あそこがとても好きだ。
アバッキオはあの商店でチンピラよろしく唾のひとつも吐かないのだ。
自分の未来がたたれた最悪の場所、忌むべき場所と唾棄せずに、相棒が命を失った場所として壊れ物を扱っているかのように振る舞う…
苛立ちまぎれに酒瓶を叩き割るとか、そうでなくても飲みきったら乱雑に落として割ってしまうとか、そういうことは絶対にしない。
アバッキオはそういう、根は真面目で繊細な人物だ。

アバッキオは荒みきってしまったけれど、それでも相棒への懺悔と哀悼の思いが彼の根底にあり、彼を陥れたあのチンピラのような真正のゲスに堕ちることはなかったと、あの補完で伝わってくる。
そして、あのシーンだけでブチャラティの誘いに即答しなかった、アバッキオの答えを暗示するだけで留めたところもすばらしい。
アバッキオが黙りこみ、ただ誘いをかけてくれたブチャラティにせめての礼を尽くすように酒瓶を地面に置いて、彼に一歩踏み出すこともなく、硬直したまま回想は終わる。
アバッキオのそれまでの絶望を軽く扱わず、それでいて彼の人生の転機は確かにこのときあったのだと伝わるアニオリだ。
感謝しかない…

アバッキオはギャングとしての道を歩み始めた。
しかしその後アバッキオが目覚める能力がムーディブルースなもんだから、またしんどいのだ。

ムーディブルースは誰かの過去の言動をそのままリプレイする能力だ。
相棒の死を後悔し続け、心の中でリプレイし続けた、過去にとらわれているアバッキオの内面を表した能力となっている。
これだけでももうしんどいが、

1、誰かが攻撃された後でなければ使っても意味がない
2、能力行使中は無防備で攻撃も防御も不可
3、攻撃性能自体は低い

の三拍子が揃っているのが地獄すぎる。
ムーディブルースは、「被害者ありきのスタンド」であり(警官は被害が出てから事件捜査をする)、「仲間がいなければ自分を危険に晒すだけのスタンド」なのだ。
犠牲者が出なければ使っても意味がない。
基本的に先手必勝で、敵の攻撃手段や攻撃のトリガーを解明できなくては全滅もありうるスタンド戦でこれは痛い特性だ。
リプレイさえすれば敵の情報を得られる点は大きなメリットだが、その間は無防備で、自分の攻撃性能も低く、せっかく情報戦でアドバンテージを取っても強い仲間がいなければ負けて死ぬ。
つまり、「誰かと組まなければ勝てないのに、誰かが攻撃された後でなければ力を発揮できない」という、猛烈な逆風がムーディブルースを取り巻いている。
兵隊は何も考えない、と原作にあったけれど、何も考えず…自分の身の安全すら軽視して、大きなものの命令にただ従ってでもいなければ、怖くてとても使えたものではない。

アニオリの補完でより強調されたが、アバッキオの警官時代は、どんなに事件事故を未然に防いでも市民は感謝せずののしりたてるばかりで、すでに起こった事件も、犯人を逮捕したところですぐに保釈されて徒労に終わった。
組んだ仲間は自分のために死んだ。
ムーディブルースのこうした欠点は、アバッキオの過去を思うととても悲しいものがある。

こう考えると、そもそも能力の運用上、アバッキオのことを独りにしてはいけなかったのだ。
あの浜辺でもそうだったのだ…

(蛇足)
ミスタを救い出したときの回想で分かるように、ブチャラティは街のこういう事件に目を光らせていた。アバッキオのこともニュースになっていて、だから彼を気にかけていたのだろうか。

恥パでのフーゴの回想を読むに、ブチャラティチーム結成後にブチャラティパッショーネの麻薬売買を知った、という時系列のようだから、アバッキオたち仲間を救い出したときはまだ、自分の組織が憎き麻薬に関わっているとは知らなかった、とも考えられる。

それまでのブチャラティにとってのギャングという身分は、頼りにならない公権力によらず父を守るための合理的な選択であり、世間常識がどうだろうと(自分が日陰者だとは重々理解した上で)、彼自身の心に照らして恥ずべきものではなかったはずだ。
だから、道を外れそうな者たちに目を光らせて、彼らに救いの手としてギャングへの道を示した。
ブチャラティの徳が無限に高い。

だからこそ、恥パで描かれたような、パッショーネが麻薬を売りさばいていると知り、彼の中でのギャングというものの価値が塗り替えられてしまったときのブチャラティの心境を思うと…。

(なお、恥パはアバッキオ加入でのフーゴとのエピソード等、各種メディアミックスで矛盾はどうしたって生じるので、恥パ時空・アニメ時空・原作時空は切り分けて楽しめばよいと個人的には思います。好きなエピソードを選ぼう。)