関係性はつくるもの

さまざまな関係性についての妄言

ブチャジョルの関係性(ブチャ編)

アニメの放映が始まった。最高です。
記念に、ウン年間あたため続けて完全におかしくなってしまったブチャラティとジョルノの関係性についてまとめておきたい。
端的に言ってしまうと、ブチャラティとジョルノはもう宗教なので、私は終始敬虔な信者の瞳で文を書いています。

ブチャラティは優しく、責任感の強い最高のヒーローだ。
しかし初登場時の奇行がものすごい。でもこれは、彼が意識的に、そう…見るからにヤバそうな奴として…振る舞っていたのだと考えている。
ブチャラティは作中、飛行機でノトーリアスに追い詰められたり、アバッキオが呆気なく命を奪われたり、ヤバい状況に陥るたび「俺の責任だ」という。
町の人々にギャングでありながら慕われ、非行に走った息子を更生させてくれと頼まれれば引き受ける。そんな男が「まさか麻薬を売っているのはあんたのところじゃないよね?」と老婆に縋られたとき、どんな思いでいただろうと思うと、しんどい。
それでもブチャラティは老婆に「何とかするよ…」と言ってしまう。苦しい返事だ。このブチャラティの日常シーンを見るに、組織の在り方に反発しながらも、部下を預かり、町の人々に頼られる自分の責任、彼らや自分の生活・安全に板挟みになって長いことが伺いしれる。
思えば彼我を分ける境界であるジッパーが能力というのも示唆的だ。
つまり、物語開始時点で密かにブチャラティは精神的にいっぱいいっぱいになっていたのではないか。
部下たちの前で、組織に反感を抱いている本音を見せるわけにはいかない。市民の前で、まさか組織こそ元凶だと悟られるわけにはいかない。かといって性根から腐り果て、何も悩まずに済むようにクズギャングに変節することも、性格上できない。責任ある立場のブチャラティが危険な本音を見せられる場はなかった。
ギャングとして偽悪的に振る舞わなければ自分が立ちゆかない状態で、部下の目を気にしなくていい場で無理に開き直ろうとした結果が、あの奇行だったのではないか。
もちろん、ジョルノを威圧する意図もあったとは思うが、意識的にしろ無意識にしろ、初登場時のブチャラティの奇行の根には自分を偽らなくては立ちゆかないストレスがあったのだ。
…まあ…それで何で口の中に指入れたり頬を舐めたりしてきたのか…なぜその手段を選んだかは分かんない…ごめん…性癖かも…
まあブチャラティにも性癖はある。人間だから…

で、ジョルノに内心を見抜かれたブチャラティは、ジョルノの夢に賭けることを決意する。
このとき、ブチャラティにとってジョルノの夢に賭けることはどん詰まりの現状に降ってわいた蜘蛛の糸であり、「何とかする」と市民に請け合いながらも何も実効的な手段を持たないことへの罪悪感、無力感を(一時的にでも)脱出できる手段であったとも取れる。努力している間は誰にでも顔向けできるものだ。
ブチャラティは、はじめ手段としてジョルノの夢に飛びついたのだけれど、これが物語の最後には、彼にとっての「幸福」にまで昇華してしまう。マジ?マジで言ってるんだ
トリッシュの護衛にしたって、ボスに近づくための手段であったものが、彼自身の信じる正しさに基づく行動になっていく。

ブチャラティは自分の信じられる道を歩めたことそれ自体が幸福だった。命を失っても、その過程こそが大切だった。(この辺はアバッキオのエピソードで語られる向かおうとする意志の大切さ、そして怨敵ディアボロがその過程を吹き飛ばしてしまう能力であることとともに重ねて示されるテーマである。)
単純にブチャラティを愛するファン心理的には、もっとワガママになってよ!!!生きて美味いもん食って幸せになってよ!!!と叫びたくなるが、物語開始時点でのブチャラティのしんどさを思うと、何を失っても自分の信じる正義にしたがい行動できることがどれほど彼の心を救ったか、考えないわけにいかない。

ブチャラティアバ茶の回でなんかよくわかんないけどコイツすげー…ってジョルノになっていたりするけれど、やはりジョルノへの彼の感情は「いつも勇気を与えてくれる」という言葉が印象的だ。
ジョルノがブチャラティの内心を見抜き、「良い人だ」と評してくれた瞬間から、ジョルノはブチャラティの共犯者であると同時に、絶対的な肯定者にもなったのだ。
ジョルノは周囲のあれこれに板挟みになってくすぶっていたブチャラティの正義の心、それに基づく行動を全肯定してくれる、一種のブチャラティの心の後ろ盾になった。少なくとも、ブチャラティのほうでは無意識にそう認識していただろうと思う。
12で信念による殺人を犯し、しかし組織に裏切られて以来、押し殺すしかなかったブチャラティの生来の正義感を…麻薬を売るような組織に所属するギャングとしては抱くだけで笑われても仕方ないようなまっすぐすぎる正義感を、ジョルノは「良い」と言った。
だから、ブチャラティはそれ以降、どんどんヒーローと化していく。ためらう必要はない。誰が咎めてもジョルノは「良い」と言い
、彼を援護する。
しかもジョルノは有能な男だった。頭脳戦もこなし、対等な共犯者としては願ってもないスペックの男だ。頼られること、ケツもちが常態だったブチャラティ(上司は孤独なものだ)に、彼と同じものを見ているアドバイザーができたことは、彼の心にさらに余裕をもたらしただろう。

ようはブチャラティのヒーロー化は、すなわちブチャラティの自己肯定感の成熟を意味するわけだ。だからブチャラティは自分は幸福だったと表現したのだ。

トリッシュを教会から助け出してきたとき、ブチャラティはジョルノに謝ったりしなかった。あそこでボスと事を構えた浅慮(とも言える行動)を共犯者に詫びることはなく、ボートに乗るときも、ジョルノがこの予想外の勝手な展開を受けて心変わりするなんて思ってもみない様子だ。
それは当然のことで、ジョルノがブチャラティの心の肯定者として彼の精神に君臨しているので、そんなことをする必要なんかない。
ブチャラティは責任感の強い男ゆえにがんじがらめになっていたけれども、ジョルノを得たことで良い意味で「勝手に生きる」ことが出来るようになった。(恥パのフーゴの回想でのブチャラティの頑固さすごかったね)
ブチャラティがジョルノと接するとき、彼は本当に何の仮面もかぶらなくて良いのだ。
ジョルノによって、ブチャラティは自分のことを好きになれた、とも言えるかも知れない。

人は二度生まれるとルソーかなんかが言ってたけれど、ジョルノは…生命を生み出す能力者のジョルノこそ、ブチャラティをこの世に生みなおした人間だった。
のちにブチャラティはその彼の能力で命を引き伸ばされ、彼の勝利を助けた。
ある意味では、ジョルノも父DIOと似たようなことをやっている。吸血鬼の能力行使なしに、だが。
エ…すご…エッ…

ていうか…
ソフトマシーン戦でとっさに危険を忘れて「ジョルノどこだ!」と探しにかかろうとするブチャラティの迂闊さ、キュートだよね。
飛行機でジョルノが両腕を切り落としたあとも迂闊。冷静になれば、ブチャラティの頭脳ならば、あのジョルノが何の策もなしに両腕をみすみす落とそうとするとは考えられないし、残されたブローチにも気づくところだろうに、見過ごしてしまう。
ジョルノがあの切羽詰まった状況でとにかく危機を脱することを優先し、ブチャラティに特にブローチについて言い残さなかったのも、ブチャラティの頭脳を信用してのことだろうが(ツーカーに甘えてたとも言えるが、ブローチはめっちゃ通路のど真ん中に落ちてたわけだし普通に気づくと思ってのことか)、ブチャラティだって人間だから、テンパるのだ。
こんなことになったのも自分の責任、とか言い出しちゃうしさあ…
共犯者ジョルノが再起不能になったと一時は思い込んだブチャラティの内心については、詳細がしりたい。とてもしりたい。
また、人知れずジョルノが壮絶なバトルをしてたベイビィフェイス戦。あの戦いでは、ブチャラティが完全無力化されていた。しかし、ジョルノは勝利し、しかもなんかものすごい新能力を引っさげて帰還し、ブチャラティたちを救出した。
これも、ブチャラティにとっては実は結構な衝撃だったのではないかと思う。とかく抱え込み、「自分が何とかするよ」と苦しみながら請け合ってしまうブチャラティだが、そんな彼の手の届かないところはジョルノがカバーしてくれる、という実績があれで解除されてしまったかたちになる。
あのあたりでいよいよジョルノは「ブチャラティが頼っていい相手」になったのではないか。(パソコンで各情報機関に侵入を試みるジョルノをその横でサポートしてるブチャラティいいよね)
まあその裏返しは、とりもなおさず「ブチャラティがいなくても大丈夫な相手」という認識に繋がってしまうのだけど…。
ブチャラティからジョルノへの、自分の体の異常を認めた際の悟ったような言葉や、最期の曇りなくジョルノを信じ切っている別れの言葉は、この認識が導線を引いたようにも見える。

ブチャラティはジョルノが彼の死によって、その後もずっと尾を引くような精神的大ダメージを負うとは考えていなかったような節がある。
そういうところでは、ジョルノは損な性格をしている。ナランチャの死に涙を浮かべたように、彼の心にも柔らかくウエットな部分はもちろんあるが、それは見えにくい上に本人が一見して強靭すぎる。
ジョルノを除くチームメンバーたちは互いの過去を(多分)しっていても、ジョルノの辛い過去を知る者はひとりもいない。ブチャラティでさえも知らずに終わったので、ジョルノの湿度のある感情はこれまでもこれからも彼しか知らないのかもしれない。知るとすれば右腕となったミスタだろうか。ブチャラティには生還してぜひジョルノのそういった心に触れてもらいたかった。

いやでも、この点に関しては、他のチームメンバーに対してもブチャラティの配慮は十分だったとは言えないかもしれない。
ブチャラティは実のところ、自分の死が周囲に及ぼす影響の大きさを正しく認識していなかったのではないか。
ふだん仲間たちから向けられている巨大感情を鑑みれば、ブチャラティは自分の死が一部の仲間にとっての精神的致命傷となりうることに思い至りそうなものだが、いったいブチャラティは自分が慕われていることの自覚がどの程度あったのだろう?

この不思議な鈍感さについては、
一、自分がそれまで誰か他人に巨大感情を抱く経験がなかったのだから、他人から寄せられるそれの重みを実感できるわけもなかった。
二、そういった周囲の人々の想いを直視してしまうと無茶ができなくなるため、無意識下で気づかないようにしていた。
三、まあチーム内でどんな諍いが起きても最後は自分が調停すればいいから細かいことはいいかな…という、クセのある連中をまとめ上げるに当たっての処世術、あるいは放任によるもの。いちいち仲間の顔色を見ていては多忙なリーダーは務まらない。
四、単に天然で鈍感だった。
五、自分の死が周囲に及ぼす影響自体には自覚的だったが、それでも自分の選んだ道に命を賭することを優先した。
などの理由づけが考えられるが、いずれにしても、アバッキオが渦中のブチャラティをよそにジョルノにキャットファイト(??)ふっかけるのは面白すぎるし、ブチャラティが自分の人生を生ききったことが尊いので、何でもいいか…。

ブチャラティにとってのジョルノという少年はすでにむちゃくちゃ属性過積載だ。
運命の相手であり、推しであり、共犯者であり、肯定者であり、ネクロマンサーであり、ある側面では甘えていた相手でもあり、自分のすべてを託した相手でもあった。
文章で書くとエッ…感情のデカさ…となるけれど、ところがどっこい、本編のブチャラティのジョルノに対する態度は最期までニュートラルなのだ。
そこがブチャラティというキャラクターの奥深さだと思う。他人の巨大感情に鈍感だったブチャラティは、自分の巨大感情にも鈍感だったのかもしれない。

もしブチャラティが無事に生きて帰ってきた世界があったとして、もしジョルノが先に死んでしまったりなどしたら、ブチャラティは本編のジョルノのように迷わず進み続けられるだろうか?
ちょっとしんどそうじゃない?

ジョルノについては次の記事で。