関係性はつくるもの

さまざまな関係性についての妄言

ブチャジョルの関係性(ジョルノ編)

アニメジョルノの感情がイキイキしてて最高です。

ブチャラティに続いてジョルノの記事です。前回の記事読み返したら完全にヤバかったんで、今回もやばい。

ジョルノは主人公でありながら、参謀の似合うキャラクターだ。ストレートな主人公型のブチャラティとは、ふたりそろって物語の主役を務めた。

しょっぱなから軽犯罪で生計を立てている様子が描写されたり、DIOの息子だったり、ポルポをさっくり暗殺したりしちゃうため、腹黒いヤベーやつかと思いきや、ちゃんと常識というものを知っている少年だ。頭がとんでもなく回るが陰険さはないため、腹黒いというのも違った。軽犯罪してても爽やかなのだ。
ただ、やるとなったらほんとに躊躇がない。
ついこの間ギャングの世界に入ったとは思えないほど覚悟が決まりきってしまっている。
自分がこれは正しい、これをやる、と一度決めたら、ジョルノは絶対に遂行する冷徹さがある。
世間一般の倫理はぜんぜん歯止めにならない。
出生の激烈さにキャラ負けしないこの性格の塩梅は流石あらき先生だ。

やむをえない事情でギャングとなった仲間たちとは対照的に、ジョルノは「初めからギャングに向いている人間」「みずからギャングとなった人間」としてチームに入る。
ブチャラティアバッキオなどとは異なり、ジョルノはギャングであることに自己矛盾を抱えることはない。迷わない主人公というやつだ。(苦悩し迷う主人公像は、どちらかといえばブチャラティの担当だろう。)
そして次第に仲間たちは彼に感化されていくのだが、なんとなしに祭り上げられるような描かれ方ではなく、ジョルノの側も毎回命がけで文字通り身を削りながら行動していて、それが結果として人の心を動かす、という描かれ方のため、ジョルノの持つ求心力に説得力が乗ってくる。
能力の応用力の高さも折り紙付きで、本人の推理力と合わせて、一見不利な場面(生き物を殺すウイルスが充満したフィールド、近距離パワー型キラーのごときベイビィフェイス、生き物を作り出せない超低温のホワルバ、生き物を腐らせてくるグリーンデイなど)でも先の展開が読めなくて、読んでいて楽しい。ていうか改めて書き出してみたら思ってた以上に不利な相手に当たりすぎてて駄目だった。

ここまでの要素だけだと、あたかも物語を面白く回すための歯車のような完璧超人キャラクターに見えてしまうが、ジョルノの魅力はそんな彼が折に触れて見せる「情」である。
あんまりにもスペックの高いキャラクターを見ると、読者はアラや人間味を探そうとするものだけれど、ジョルノはそうやって読み込めば読み込むほど情を見せてくれる、とてもいいキャラクターだ。
便器から六億円が出てきたとき、無言で汗をかいてドン引きしている表情は、ジョルノがするから味が出る。
老化が解除されてすぐにナランチャに絡まれて引き気味になるのも面白い。
ナランチャトリッシュの恋バナにちゃっかり反応してるところもめちゃくちゃ良い。
ブラックサバスの犠牲者となったお爺さんを思って怒ったところが私は大好きです。そこから直線でポルポ殺すとは思わなかったけども…
ジョルノは常に慇懃で、自分の気持ちを語ることが少ないけれど、喜怒哀楽は示している。

ジョルノはちゃんと仲間たちを大切に思っていることも分かる。
ナランチャの死に涙を浮かべ、彼の遺体を守るように植物で包むシーンは一番分かりやすいもののひとつだ。
アバッキオがボートに乗ったとき、「アバッキオ…」と嬉しそうにした表情もいい。アバッキオはたぶん、自分にとってのブチャラティが、ブチャラティにとってはジョルノだという事実を呑み込むわけにいかないだけで、ジョルノ本人のことは認めていただろうと思う。ジョルノはその辺の機微は知る由もなかっただろうが、ブチャラティいいよね…いい…プロ同士多くは語らない…するなら相手はアバッキオだろっていうか、なんかそういう、奇妙な一方的仲間意識があったような印象がある。まあアバッキオは絶対付き合ってくれないだろうけど。というかアバッキオについては、なんやかんや言いつつもポンペイでパープルヘイズの危険を丁寧に?説いてくれた時点でジョルノ的には好印象に転じている気がする。
フーゴにしたって、グリーンデイ戦でいきなりグリーンデイの本体の人間性にキレだしたのは、フーゴのパープルヘイズが強力なリミッターをかけていたこと=凶暴な一面を持とうともフーゴが良心ある男だったことが想起されたからだろう。ジョルノはそうしたフーゴの良心に敬意を抱いていた。だからグリーンデイにめちゃくちゃキレたのだ。

ミスタとの関係はちょっと不思議だ。
少々脱線するが、チームメンバー中もっとも捕らえ所のない性格をしているのはミスタだと思う。
ブチャラティを尊敬しているのは確かだが、金や地位に言及するシーンが多いように、打算もまた持ち合わせている。
情と打算が同時に存在して矛盾しないのがミスタの性格の特性だ。だから彼はギャングの世界でもシンプルに生きることが可能なのだ。彼は自分にとって得になる、あるいは自分にラッキーを運んでくる存在を好きになる。「なんとなくこいつについていくとラッキーそうだ」なんて理由で命を懸けて戦えるのがミスタのすごいところで、魅力的なところだ。従うべき上司や組織があろうとも、ミスタはいつでも新たな「ラッキー」を探している。そのことを指して鞍替え・裏切りなんて言葉は彼にはそぐわない。ミスタは軽薄というのではなく自由で、視野が広いのだ。
その視野の広さゆえに、ブチャラティを比較的客観的に(神格化せずに)見ることができていた数少ないキャラクターだと思う。ボートに乗るとき、ジョルノに耳打ちした言葉はミスタのブチャラティ観が如実に表れている。それはそうと耳打ちされたジョルノが「え…そう…?」みたいな顔してるのがとてもいい。
なので、もしチーム内でジョルノが味方を作ろうとするなら、まずミスタからかかるのは正しい。
で、ミスタにとってもジョルノはラッキーボーイと認定された以上は、ふたりの信頼関係は出来上がるべくして出来上がった、ということだろう。

もう少し突っ込むなら、ミスタとジョルノが連携したときのリンクマックス感は、ホワルバ戦がすごい。
自分の腕を犠牲にしてミスタを助けたジョルノが「DISCを手に入れることが勝利」だと言えば、ミスタが「ヤツをぶっ殺してふたり無事でdiscを手に入れることが勝利だ」と返し(ここのやり取りはポンペイでのアバッキオとのやり取りが思い出される)、
ジョルノが「運河に飛び込んだぼくの判断が間違っていた」と言えば、ミスタが運河に落ちたからこその脱出方法で冷却を解除させ、
ミスタが狙撃を強行して窮地に陥り「オレの責任だ、逃げていれば…」と言えば、ジョルノが血しぶきでミスタの自棄を止め…
と、互いが互いをフォローすることで勝利に近づいていく一連の流れは芸術的。
怒涛の展開続きでありながら、読み終わったときに「な…なんかすごいものを読んだ…面白かったとにかく…面白かった…」となるホワルバ戦の物語パワーはくせになる。

最後にブチャラティ
ジョルノにとってブチャラティは尊敬できる共犯者だ。
初めてできた仲間でもある。
ブチャラティがジョルノに対する印象を吐露するほどには、ジョルノはブチャラティへの印象をモノローグでさえあまり語らなかったが、ゾンビ状態となったブチャラティへの対応を見ればそれは読み取れる。
ジョルノは危険や異変に対する警戒心がめちゃくちゃ強い。それが悪く作用したのがノトーリアス戦だけれど、とにかく、ジョルノは異変を感じ取るとすぐさまそれを排除しにかかる。ついこの間目覚めたにしてはスタンド戦強者すぎる…
そのジョルノが、ブチャラティの身体に関する疑惑については、あれこれ理由をつけて何度も何度も追及を先送りにする。もしかしたらブチャラティの異常は敵のスタンド能力によるもので、ことによればチーム全員の危険に繋がる可能性だってあると、ジョルノの警戒心の強さならば全く想像しなかったわけでもあるまいに、曖昧なままにしておく。
ブチャラティの口から真相を明かされたあとも、ジョルノのほうから核心に触れようとはしなかった。オアシスに対峙するブチャラティに「任せていいんですね?」と追い詰められたような表情で確認するシーンがしんどい。
最期、ブチャラティに別れの挨拶をされるシーンでさえ、ジョルノは相変わらず動転していた。ブチャラティの死は、それほどまでにジョルノにとって受け入れがたいことだったわけで、作中でジョルノが見せた最大の「弱さ」がこれだったのだ。
エモです。

もしかしたら、ジョルノにとっては、こんな情なんて一切なかったほうが幸せだったかもしれない。冷酷な王者気質だったら楽だっただろう。
ジョルノは死んだ仲間に…特にブチャラティに、自分と出会ったために彼らの死を招いた、という罪悪感を抱かずにはいられないと思う。
だからといってそこで歩みを止めないのがジョルノの格好良さである。

それにしても考えてみれば、望む望まざるに関わらず、知らぬ間に他人の人生に転機を与えてしまう性質というのは業が深い。
ジョルノ本人が自分のスペックの高さにあかせた選民思想じみた人間関係の取捨などをしないからよけい、その業が悲しい。
恥パでの振る舞いを参考にしてみても、ジョルノは「向かおうとする意志」を大切にするけれど、そうできなかった者の弱さも尊重できる人物として描かれている。(幼かった自分が紙一重でこの世のクズになるところだった実体験が、彼に弱者の視点をカバーさせているのだろう。)
強い人間も弱い人間も、信頼できるところがあると見ぬけば、わりとジョルノはよく付き合う。人間の好き嫌いが少ないというか、ジョルノは妙にそういう懐が広い。だいたい、普通あんなお茶を飲ませてきた人間を信頼できないと思う。
だからこそ、知らず知らずに他人の人生に多大な影響を及ぼしてしまう性質はジョルノの悲しい業なのだ。
ジョルノはDIOの血を引いてはいるが、DIOとは決定的に価値観が違う。

あとジョルノが戦闘中ときおり見せる大博打がものすごく好きです。
ジョルノが仲間の安否を左右する大博打に出るとき、真っ先に賭けるのは自分自身の命で、一回目読んだときはヒエッ…正気じゃねえ…って引いてしまうけれど、二回目読むとアア~信頼…完全に信頼した…ジョルノ…となる、この読書体験が当時は最高に楽しかった。
それが決して自棄ではなく、勝算があってやっているところもクレバーだし、ジョルノのその行動に触発された仲間が敵に立ち向かっていく流れもとてもワクワクした。
ジョルノが「冷静に怒る」タイプの主人公だったのも良かった。
5部はシリーズ全てを通しても突出して敵がガチな部で、敵スタンド攻略にあたっても知識や知恵が必要な場面が多い。そんな部だから、もしもジョルノが感情的になりやすいタイプの主人公だったら、読者としては「こ、こんな頭の回る敵を前にして感情的になってはいかんでしょ…!」などとハラハラしてたまったものじゃなかっただろう。でもジョルノは、怒るほどに頭のキレが磨かれていくし、動揺しても冷静さを取り戻すのが異常に速いので、読者は余計なハラハラを抱えずにワクワクして読み進めることができる。
実際、私はジョルノが怒りの片鱗を見せるたびに「や、やった~~!!ジョルノが怒った~~!!勝てるぞ~!!」と期待を高めていた。キャラクターが怒ることでこちらのワクワクも加速する漫画、名作では? 重ねて言うけれど、5部は本当に読んでいて楽しいのだ。

…なんか気づいたらブチャジョルの話が全然できてない。
ともかく、ブチャラティとジョルノは最高なのだ。
今週のアニメも楽しみです。