関係性はつくるもの

さまざまな関係性についての妄言

アバ茶回と恥パとブチャジョルの話

アバ茶に色がつくとあんなことになるんだね…

とうとう放映されたアバ茶回。
すごかった。アバッキオ、一緒に人間ドックいこうね

アバ茶回…原作のタイトルは「5プラス1」だが、その面白さはちょっと独特だ。ほかの漫画では味わえない面白さがある。
直前の話で躊躇なくポルポを暗殺する主人公、というインパクト抜群なシリアスをやっておいて、次の話になったとたん、「奇人変人集団によるボケの大渋滞」みたいな話を投げ込んでくる。

「4という数に切れ散らかす異常者」
「突然他人の頬にフォークを突き刺す異常者」
「それにナイフで応戦する気合いの入った異常者」
これらを連続して読者の脳に叩き込んだところで、極め付きに
「気に入らない後輩に尿を飲ませようとする異常な先輩」
までもが読者の心を揺さぶる。
この先仲間となる人物をあえて初登場時には悪く(異常に)描いて、その後の読者の心証をコントロールするのはあらき先生の得意技だが、ここまでヤバさに振り切った作劇胆力はすごい。
「これだけキャラの印象を落としておいても、あとの掘り下げや活躍で挽回できるだろう」という確固たる自信があるわけだ。それでその通りになるんだから、先生はやはりすごい。

しかも、その嫌がらせを受けて立ったジョルノがどう見てもセーフではないのでは…?という手口で場を切り抜けてドヤ顔するので、さらに異常者人口はプラス1されることとなる。
唯一頼れるチームリーダーも、ほんの数話前にジョルノの頬を舐めたり、口の中に他人の切断された指を放り込んだりした実績がある。
もう全員異常者である。

その異常者たちの異常ぶりをこれでもかと描きつつ、この回には強烈なシリアスギャグの要素も渦巻いている。
アバッキオの蛮行に一瞬「えっ…なにしてんの…?」となっているミスタたちの表情は、読んでいるこちらと完全にシンクロする。
躊躇うジョルノにここぞとばかりに嫌みを言うチームメンバーたちに対しては、
「人間ってこんなに意地悪な顔できるもんなの?」
「てか普通に考えて目の前で他人が自分の知人の尿を飲むとかメチャクチャ嫌じゃない?」
「ていうかまず知人の尿が目の前にあるのがメチャクチャ嫌じゃない? 嫌み言ってる場合か?」
と無数の疑問が湧き上がる。
頭の切れる常識人のはずのブチャラティも終始クエスチョンマークを浮かべていて、ジョルノが見舞われている災難には気づかない。なんか最終的には「ジョルノはやっぱりすごいやつだ…なんかよく分からんが…」と納得するボケ倒しぶり。

それに、いざ飲まれたら飲まれたで「ウワッ…(引)」みたいな顔するアバッキオも何なんだろう。
自分の体液を他人に飲まれることに悪寒を覚えるような繊細さが彼にあったのだとすれば、どうしてアバ茶など淹れてしまったのだろう。

アバッキオは、この話以降の掘り下げからいって、内面は結構繊細なイメージがある。(細かいところでいえば、ブチャラティトリッシュが一時険悪になったとき、雑誌を盾にして遠巻きに様子を見てるシーンとか。)
自分だったら絶対飲まないし、こいつが飲むはずがない、「な、何ですかこれはー!」などと真っ赤になって逆上してきたところを笑い物にしてやろう…それくらいに考えていたのかもしれない。
ところが現実はそうはならなかった。
意地を張ってらしくない嫌がらせをすると自分も嫌な思いをすることになるよ、ということか。
結局アバ茶回でもっとも精神的ダメージを負ったのはアバッキオ本人だったのかもと考えると、アバ茶とは悲しい存在だ。

さらにアバ茶回が面白いのは、これらの異常者描写・シリアスギャグ描写と並行して、ブチャラティチームの人間関係を透かし見られるようになっている点だ。
ジョルノを無視しようとするチームメンバーたちに、ブチャラティが「このオレが連れてきたんだぞ!愛想良くしろ!」と叱りつけるさまは、さながら父が再婚相手を家に連れてきたときの子どもたちのようである。(曇りない眼)

五部初見の方の感想で、「リーダーに叱りつけられても彼らの態度が軟化しないのは、ブチャラティがチームに舐められているからでは?」というのをチラッと見かけたが、それは全く逆なのだ。
ブチャラティは彼らにとても慕われている。
彼らのわだかまりの理由が他ならぬブチャラティの態度にあるから、ブチャラティがジョルノを庇えば庇うほど、彼らは面白くないわけだ。

なぜ、このギャングたちはこうもジョルノを敵視するのか?
彼らがもともと排他的な性格というわけではなく、答えは簡単で、「ジョルノがブチャラティが初めて自分からチームに引き入れた人物だったから」である。
他のメンバーはやむを得ない事情でギャングに身を落とし、そこをブチャラティに救われてチームに入った者ばかりだが、ジョルノはそうではないと、彼らはちゃんと感づいていた。

このあたりは、小説・恥知らずのパープルヘイズで描かれたフーゴ視点の回想が印象的だった。
小説では、ブチャラティがジョルノのことをチームメンバーに初めて話すシーンが描写されている。
戸惑い、怪しみ、自分たちでジョルノの身元調査をしようとまで言い出した仲間たちに、ブチャラティは「オレを信じるなら彼も信じられるはず」「文句があるなら別のチームへ行け」と強引に話を切り上げる。
前者はまだしも後者の言い方はすさまじく苛烈だ。
このブチャラティの思いがけない頑なさを、作中のフーゴは「実はブチャラティこそがチームで一番その経験が遅れていた」「誰かと出会うことで人生が変わるということをブチャラティだけがそれまで知らなかった」と考察しており、よって、ボートに乗るときも、「自分が説得すべきはブチャラティではなくジョルノだった」と結論づけている。

恥パは公式から出版されている小説ではあるが、あくまで作者さんのいち解釈に過ぎない。
が、もしブチャラティに前もってこんなことを言われていたのだとしたら、チームメンバーたちのジョルノへの当たりの強さは無理からぬことだろう。
(以前このシーンを、ブチャラティ=鈍感主人公がハーレム外に本命を見つけたときの周囲の反応として見る感想を見かけたことがあるのだけれど、ボーイミーツガールで敗北する幼なじみヒロインを見るときのような辛さが突き刺さってくるので、あんまり考えないようにしておきたい。)

今後、この異常者たちがどう株を上げていくのか、ジョルノがどう彼らの信頼を得ていくのか、原作既読者であっても、アニメで観られるのが嬉しくてたまらない。

というかアニメ、アバッキオとジョルノの(ほぼ一方的な)バチバチが強調されてたり、チーム入って一日目でだいたいブチャラティの隣にいるジョルノだったり、ジョルノに目線を合わせるようにしゃがむブチャラティ→その横にしゃがむアバッキオの流れだったり、細かいところまで最高でしたね。